捨てるべき枝
歴史のある有名な公園を訪れた時のことです。
ここには立派な松がたくさん植わっているのですが、その中に樹齢数百年のものがあり、見上げると明らかに枯れかけている枝がありました。
近くに公園の管理者らしき方が数名いらっしゃったので、
「この松は枯れかけているんでしょうか?」と尋ねてみたところ
「全く問題ありませんよ」とのことでした。
枯れかけている枝が大きかったので、
「あの枝が枯れても大丈夫なんですか?」と聞くと、
一番年配だと思われる方が
「この松が生きるため成長するために、
自分で調整して不要だと思ったから捨てているんだろうねぇ」と答えて下さいました。
その答えと、そういう考えをお持ちであるこの方に感動し
何百年も生き残る木というのは
「不要なものを自ら捨てることができる」からこそ何百年も生き残れるに違いないのだと
我が身を、我が道を想いながら帰途につきました。
身の回りの細々としたものを取捨選択するのは、
得手不得手はあってもそんなに難しいことではありません。
「また簡単に」手に入れられる可能性が高いほどたやすいことでしょう。
ですが、
依頼を受けた仕事や一緒に働く相手を取捨選択するのはとても勇気のいることで
「捨てるべきではない」
「捨てたらもう手に入らないかもしれない」
という思いに囚われ、判断が鈍りがちです。
【本当に大切なものは何か】
目先の損得に惑わされずに見極めようと気持ちを新たにした出来事でした。